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チリ一般情報

僕がチリに到着してから苦労したこと

三男
三男
今日は南米に来てから苦労した6つのストーリーをお伝えするヌイ!

 

本記事の内容

  • 南米に来てから苦労した6つのストーリー
  • それぞれのストーリーからの教訓を学ぼう

本記事の信頼性

  • 南米チリ在住6年目の純日本人男性
  • チリ人女性と国際結婚、1児のパパ
  • 企業戦士を支える立場で絶賛活動中
  • 絶望から這い上がろうと日々奮闘中

 

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日本の家族に猛反対された人生計画と航空券

もうかれこれ数年前のことになるが、

チリ人との結婚を契機とした

自分の人生計画を親に告げた時のこと。

 

彼らからすると外国人であるチリ人との

国際結婚もそうだったけど、

 

当時行なっていたことを断念する

という決断に怒りを覚えたよう。

 

親になった今だから分かる、

当時の彼らの気持ち。

 

手塩にかけた3人兄弟の長男、

唯一の跡取りだ。

 

跡取りというのはちょっとしたおまけだが、

新卒で入社した会社を退職した自分を

必死にサポートしてくれていたのだから無理もない。

 

まだあの頃は転職のイメージが良くなかった。

今でこそ、転職がやや一般的になりつつあるが、

当時は状況が異なった。

 

当然、若い親の親族、

すなわち高齢者にとっては到底理解のできない決断だった。

 

ましてや南米に行くなんて。

 

親族からの質問責め、意見に対して、

ポジティブな反論をしてくれていたのだ。

 

それを裏切るような自分の判断。

怒るのも無理はない。

 

ただ、その時に発言されたことは今でも忘れない。

 

「もう家族との縁を切ることになる。」

そう言われたのだ。

 

当時は南米の別の国で生活しており、

家族の大切さをこの自分の肌で実感していたところに、

その言葉を放たれた。

 

一体、これまでの家族との20数年間は、

こんなことで関係が断たれてしまうのか。

 

当時は正直自分って彼らにとって

そんなちっぽけな存在だったんだ。

って思った。

 

もちろん今はその裏に隠れていた

彼らの感情を理解している。

 

日本の家族の距離感と南米のそれとの違い

に面食らったのを覚えている。

 

とはいえ、自分も頑固な奴だ。

そんな反対意見は昔から聞かなかった。

 

自分が思ったことは全て行動する。

それは今でも変わらない。

 

ただしどうしても一回日本に帰らないといけない事情があった。

 

そして、その時に成田空港でチリ人妻と合流する約束を取り付けた。

 

ビビっても何も始まらない。

航空券の手配も行い、そのことを親に告げた。

 

それまでの期間は数ヶ月間、

自分も彼らも自分の人生についてかなり悩んだ。

 

でも最終的に自分は曲げない。

 

最後は家族が縁を切るという判断を取るのであれば、

それまでの関係だったんだと思うしかなかった。

 

そんな薄っぺらい関係じゃないはず、

とたかをくくっていたのかもしれない。

 

帰国と成田でのチリ人との再開を報告した時点では

向こうは折れていたようだ。

 

さぁ、これから新しい人生だという時に、

アメリカの某航空会社のWebページで

航空券の確認をしていたところ、

なんかの手違いで航空券が消えてしまったのだ。

 

本当ハプニングだらけの人生。

 

南米から脱出することはできたけど、

日本からチリへの航空券が消えてしまった。

 

それも南米脱出の前夜に。

 

そのことばかりを心配しつつも、

成田でチリ人妻と会えるとワクワクしながら

合計30時間以上の空の旅を楽しんだ。

 

成田で感動的な再開、とはならず、

海外慣れしていない自分が

エコノミーで2回乗り継ぎを行なった後は

すざましい匂いを放っていたとのことだ。

 

日本に帰国してからその航空会社に

半べそをかきながら事情を説明した。

 

数日後、この惨めな自分を哀れんでくれたのか、

日本からチリの切符を再発券してくれたのだ。

 

今でもその航空会社は贔屓にしている。

安いしね。

 

それから自分の実家に、チリ人妻を連れて行ったのだ。

 

ほとんど初めて見る外国人に

声を3オクターブほど高くして喜ぶ母親。

 

美しい顔立ちのチリ人妻を見て、

鼻の下が伸びる父親。

 

大歓迎じゃねーか。

 

一体あの悩みに悩んで辛かった

数ヶ月間はなんだったんだろう。

 

日本に1ヶ月ほど滞在してチリへ戻った。

 

人生計画は慎重に、行動は大胆に!

 

 

妊娠発覚後の移住確定によるビザ手続きと職探し

家族に見送ってもらい、再び南米の地へ。

 

この当時の計画は観光ビザが許す

滞在期間の180日だけチリに滞在する予定だった。

 

その後は日本に戻り、

再就職するか家業を継ぐ、

そんなイメージを抱いていた。

 

自分の感覚が、一般的な日本人の感覚と

ずれているのはこのあたりで明確になってきた。

 

チリに滞在する理由は、

自分が義理の両親やチリのことをもう少し知ること、

それとチリ人妻が両親と離れ離れになる前に

きちんとお別れをしてもらうこと。

 

その2つだった。

 

ところが、チリ到着から2ヶ月後、

ちょうど市政登録局で結婚のセレモニーを予約したところで、

チリ人妻から違和感を感じると告げられた。

 

それから薬局に行って、

妊娠検査キットを買ってみると陽性反応。

 

嘘やん、と思った。

 

でもその事実からは目を背けることができない。

 

日本に戻って産むか、チリに残って産むか。

 

かなり悩んで妻とも協議したけど、

やっぱり日本語を知らない彼女が

日本で出産なんてハードルが高すぎると思った。

 

彼女は日本で産みたい、

って言ってくれてはいたけど、

正直自分の負担が相当高くなることを危惧した。

 

日本語を話せないと、検診から出産、

その後の出生登録から定期検診、

日常生活まで全部面倒見ないといけない。

 

もちろん日中は仕事をしているはずで、

日本の企業だと家族のことで

仕事を抜け出すなんてことはほぼ不可能。

 

いくら妻が外国人で日本語が分からなくても。

 

そんな状況を思い浮かべると、

日本で出産してもらうという選択肢は自分にはなかった。

 

なんとか説得して、チリで出産をすることに。

 

とはいえ、

チリでの出産が一体いくらかも分からないし、

というか職がねえ。

 

おまけにビザもねえ。

 

大げさじゃなく、なんでもいいから仕事がしたかった。

自国の状況が酷くて、出稼ぎに来た外国人と同じ心境だった。

 

町を歩いても日本人を見かけない。

 

電柱に雑に貼られている求人の張り紙を手にしたこともあった。

 

「警備員募集中、月給4万円」

こんな張り紙を眺めていたんだ。

 

もうその時の感情としては

落ちるところまで落ちたな、

とそう感じていた。

 

たまたま知り合いから

Facebook経由でメッセージが来たんだ。

 

「最近調子はどうよ?!」と。

 

その時は明るく返事をしたけれど、

正直地獄だった。

 

10歳ほど年上で、知り合った団体でも兄貴的存在だった。

 

彼に悩みを相談してみたら、

当時チリに滞在していた一人の日本人男性の連絡先をもらったのだ。

 

その男性が相談に乗ってくれるというので、

彼の職場近くのカフェで待ち合わせをしたのだ。

 

そこは日本人も多く住んでいるラスコンデス区だった。

 

なんだ、このオシャレで都会感が溢れている街並みは

と驚いたことを覚えている。

 

実はその男性とは面識があったのだが、

全く話したことはなかった。

 

そこで彼と1時間ほど会話をして、

自分の置かれている状況を伝えた。

 

親身になって話を聞いてくれた彼は、

彼の人脈を使って、ある会社を紹介してくれた。

 

その会社を訪れると、

ちょうど日本人男性を探していたようで、

なんとか職が見つかったんだ。

 

提示された金額は、

電柱の張り紙に書かれていた金額の倍以上。

 

これはかなりラッキーと思った。

 

このような機会をくれた日本人男性と

その会社には非常に感謝している。

 

職探しとビザ手続きも並行して進めていた。

 

もちろん働くためには観光ビザではなく、

短期ビザや就労ビザを持っておく必要がある。

 

自分はチリ人と国際結婚をしたため、

1年の短期ビザを申請することができた。

 

申請はもちろんチリ国内で。

 

チリ国内でビザ申請をしたことがある人は

分かってくれると思うが、

煩雑な手続きと待ち時間が長いのが特徴的だ。

 

セントロにある移民局はまさにカオス。

様々な人種が移民局周辺でたむろっている。

 

中でも多かったのは、ペルー人、コロンビア人。

すごく南米感を感じる地区だった。

 

日本人男性と再開したラスコンデスとは大きな違い。

 

正直セントロへ行くことすらだるいのに、

移民局で勤めている職員もぶっきらぼうだ。

 

義理の父の力を借りながら、

着実にビザ申請手続を進めていった。

 

申請さえしていれば、職には就ける。

それが唯一の救いだった。

 

会社に入社する前にはすでに申請できており、

仮のRUT番号を発行してもらえたため、

納税等は滞りなくできた。

 

納税といえば、社会保険料も納税するんだけど、

一つ落とし穴があったのだ。

 

それは次の章で明らかになる。

とりあえず職には就けた。

 

教訓:駐在員で来る方が待遇は良い!

 

海外勤務を望むあなたへ勧める2つのオプション 本記事の内容 海外で働いてみたいけど、具体的な方法が分からない方向けの記事 この記事を読むことで将来...

 

 

待望の赤ん坊もまさかの早産で人生最大のピンチ

仕事にも巡り会えて、

一応生活基盤は整ってきた。

 

収入はやはり少ないけど、

当時は妻の実家に住んでいたので

家賃等の支払いはなく、

出産費用を着実に貯めていた。

 

あれ、赤ちゃんって何週で生まれるんだっけ?

 

チリと日本ではカウントが少し異なるようで、

詳しいことは今でも分からないし、

覚えていない。

 

毎月数回検診について行ってたことを思い出す。

 

お腹の子はかなり順調に成長していたようだ。

 

やっぱり自分の子がきちんと成長しているかは気になっていた。

 

ネットで標準成長曲線なんかを見つけて、

自分の子と比較をしては安心していたものだ。

 

どちらかというと標準よりは大きく育っていたようで、

もしかしたら双子かもね、

なんてことを言いながら笑っていた。

 

大きくなって母親のお腹を中から蹴ることもあった。

 

たまに動くお腹を見て、

子供の成長を楽しんでいた。

 

ある晩、妻が用をたすために立ち上がった時、

「漏れちゃった」なんて言われて、

笑っていた。

 

すると漏れていたのは尿ではなく、大量の血液。

 

それを見た二人は慌てて、病院へ向かった。

運転手は義理の父。

 

いつも以上に荒い運転で驚いたけど、

とにかく一刻も早く病院に到着しなければならなかった。

 

出産する病院を2つぐらいに絞っていたけれど、

そんなん関係ない。

一番近いところに向かった。

 

爺さんと妊婦と日本人。

すごい構図で院内を駆け回った。

 

とりあえず夜間で出てきているドクターに

診察をしてもらい、検査入院となった。

 

分からない。全く分からない。

医者が話すスペイン語が全く分からないのだ。

話すのが早いし、医療用語なんて聞いたこともない。

 

よく耳を傾けて、

ネットで単語を検索しながら理解に努めた。

 

翻訳して出てきた日本語ですら分からない。

気が狂いそうになった。

 

どうやら、病名は胎盤早期剥離。

半分近く剥がれていたよう。

 

夜中3時に妻と義理の父を病院に残し、

翌日仕事のある自分だけ帰宅。

 

翌朝、9時前に妻から連絡があり、

緊急帝王切開をこれから行うと伝えられた。

 

当時の上司から出勤時間が遅れる旨を伝えており、

9時前に出勤の支度をしていた自分は、

慌てて車に乗り込み病院へ向かった。

 

もう慌てすぎて手術室に入るための

保護具の着用方法が分からなかった。

 

頭に3枚シートを被せたのだけど、

どうやらその内2枚は靴用だったらしい。

 

ちょうど手術室に入った時に、

赤ん坊がお腹の中から挙げられた時であった。

 

自分でも凄いタイミングで入ったなと思う。

まるでドラマのワンシーン。

 

赤ん坊は見たいし、

お腹も興味本位で覗いてみたい。

 

でも妻からは「私だけを見ておいて」と言われ、

目玉が可動域が増えたよ。

 

そのせいで、かなり心配なものも見ちゃった。

 

ハサミの一部が折れて、

お腹の方に落ちてたけど、大丈夫なん!?

とかなり気になった。

 

妻のお腹を縫うのも

麻酔が十分に効いていなかったから

結構痛んだとのこと。

 

本当お疲れ様。

 

緊急夜間の担当は専門医ではなく、

どうやら検査入院は適切な判断でなかったとのこと。

 

本当ヒヤヒヤする。

 

でも2ヶ月の早産は心の底から喜べない。

これからどのように成長していくのかすごく心配だった。

 

アメブロで早産を体験した女性のブログを見ると、

勇気づけられたり、さらに不安になったり。

 

精神状態が安定しない日々を過ごしていた。

 

病院へは駆けつけた。

病院を選んでいる暇もなかったし、

出産前に費用の確認をすることもできなかった。

 

無事退院して、その後に待っているもの。

それは支払い。

 

これがもう一つの悩みのタネであった。

 

当初の出産費用予算は20万円。

普通に出産して、保険を適用すればこの程度で済んでいた。

 

はずだが、緊急帝王切開だったため、予定が狂った。

 

あろうことか、健康保険については、

まさしくその産まれた日にISAPREと呼ばれる

保険制度への切り替えを行う予定だった。

 

その日の17時に契約書に署名する予定だったが、

産まれてしまったため、契約できず。

 

なので、FONASAという保険の適用が余儀なくされた。

 

そしてFONASAを適用しようと思ったのだが、できない。

 

保険料は支払っているはずなのに、なぜだ?

本当に発狂しそうなくらい怠いことが多い。

 

よく調べてみると、保険料の支払いだけではなく、

システムへの登録が必要。

そりゃそうだ。

 

システムに名前が登録されていなければ

出てくるはずもない。

 

入社後の流れを思い返してみると、

年金保険の方は確かに営業マンが会社に来て、

必要書類に署名をした。

 

が、健康保険の方は何もしていなかった。

だるすぎる。

 

FONASAのオフィスに何度足を運んだことか。

 

窓口の女性も言っていることが人によって違う。

分からん!やっぱり発狂しそうだ。

 

ようやく手続きが完了し、

勘定を聞いてみると日本円で120万円。

死亡フラグ。

 

でも日本の家族が助けてくれた。

 

電話で誕生の報告をしたんだ。

もちろん祝福してくれるけど、

自分に直面している悲劇を心配してくれた。

 

自分の持っていた米国の口座に

1本振り込んでくれたんです。

 

あの時は本当に涙が溢れでるくらい

親のありがたみを感じた。

 

これでとりあえずは支払いも完了し、

新しい家族を迎えた新生活の始まりだ。

 

生まれてから3週間は集中治療室に入っていて、

仕事もしなければならなかったため、

面会は昼休憩の1時間だけ。

 

昼ご飯はICUへ通っていた3週間、

毎日チリのエンパナーダ一つを頬張っていた。

 

教訓:生活に必要な情報収集は必ずしておく!

 

【必見!】チリに行く前に知っておきたいこと 本記事の内容 チリ渡航前、渡航後に必要な情報が分かる チリだけでなく、海外生活に必要な知識が分かる ...

 

 

ブエノスアイレス旅行中に起きた横転事故

出産したてに感じていた不安は

いったい何だったんだろうかと思うぐらいに、

順調に成長してくれた息子。

 

色々サポートしてくれた日本の両親に会わせてやりたい。

そう思って日本行きの計画を立て始めた。

 

初めての子育て。全てが不安になる。

ましてや日本まで乗り継いで30時間ほど。

 

機内で泣きわめき、精神的に参るイメージしかできない。

 

せめて、一回短距離でもいいから

予行練習しておきたいと考え、

ブエノスアイレス行きの切符を手にした。

 

実はこの時点では転職をしており、

収入が増えていた。

 

以前の収入ではブエノスアイレスに行く余裕すらなかったであろう。

 

少し人生が好転しているようにも思えた。

 

あれだけ苦しんだけど、

チリ国外に出る余裕ができたのだ。

 

チリ人妻はこれまでに何度も行ったことあったけど、

自分自身は初めてのブエノスアイレス。

 

思いっきり楽しんでやりたいと気合いが入っていた。

 

真夏のクソ暑い時だった。

パレルモという地区のマンションを借り、

そこを起点にブエノスアイレス市内の街並みを楽しんだ。

 

滞在日数は3泊4日とそう長くはない。

しかも1泊目はほぼ寝るだけ。

 

寝る前に美味しいピザ屋に行ったっけな。

 

翌日は朝一からセントロの方に出かけた。

初めて見る街並みに感動を覚えていた。

 

隣を見ると暑そうにしている妻。

適当にランチを取ろうと、

セントロにある肉屋に入ったのだ。

 

そこで悲劇が待ち受けていた。

 

入ってレストランの店員がメニューを

妻の手と僕の手に渡してくれた。

 

間に挟むようにして、

ベビーチェアを置いてくれた店員。

 

そこに座って興奮していた生後10ヶ月のチビ。

 

何を飲む?と言いながら、

二人が同時にメニューに目を向けたわずか1秒。

 

僕の左目の視界から消えていく、

息子の影。

 

咄嗟に左脚を伸ばし、

後ろに倒れていくベビーチェアを受けようとしたのだが、

時すでに遅し。

 

わずか10ヶ月の息子がレストランの床に

後頭部から叩きつけられたのだ。

 

店内には緊張感が走り、

妻が店員に最寄りの病院を聞いた。

 

すぐさま店をあとにし、

流しのタクシーを捕まえ、

病院へ急いだ。

 

意識を失いかけている息子。

必死に注意を引く妻。

何もできない自分。

 

とにかく急いでもらった。

到着したある公立病院。

 

もう場所も名前も覚えていない。

覚えているのは、質の低い病院だったことのみ。

 

酒臭い患者に、受付けにどなる患者。

路駐している車の窓が破壊されたり。

 

妻は子を抱え、院内を駆け回る。

自分はベビーカーと大量の荷物持ち。

 

番号札も何も引かずに、医者の居場所のみを聞いて、

診察部屋に入った勇ましい妻の姿は

今でも脳裏に焼き付いている。

 

それに文句の一つも言わずに

我々の要望に応えてくれた医者にも感謝している。

 

すぐにレントゲンをとっては、その結果を確認した。

 

設備がボロいからか、

レントゲンで撮影した写真を

携帯電話のライトで照らしていた。

 

本当に大丈夫なのか、この医者。

そう不安を抱いたのは間違いない。

 

それもそのはず。

アルゼンチンの公立病院は無料。

設備が充実している方がおかしい。

 

そのおかげで僕らも支払いなしで診察してくれた。

 

病院を出るときに、無知な自分は妻に、

本当にお金払わなくていいの?

なんてことを繰り返し聞いていたものだ。

 

息子の頭には特に異常は確認されなかった。

24時間安静にし、様子を見ること。

異変があれば再度通院することと言われ、

病院をあとにした。

 

とりあえず、何事もなさそうだったので安心した二人。

笑う息子。

 

その日は借りていたマンションに戻り、

薄暗い部屋の中で疲れを癒した。

 

24時間安静ということだったので、

旅行3日目のお昼過ぎまで様子を見た。

本当に何もなさそうでホッとした。

 

気を取り直して、

ブエノスアイレス最後の夜を楽しんだ。

 

ほとんど堪能できないまま南米のパリを発つこととなった。

 

サンティアゴへ戻り、かかりつけの病院で

念のためにもう一度診察をしてもらった。

 

特に異常はなく、一件落着。

本当にパパとママは焦ったよ。

 

教訓:油断一瞬、後悔一生

 

 

チリ滞在中に起きた祖母の死去で感じる日本までの距離

南米のパリから戻った翌月のことだった。

 

職場でお世話になった方が帰国となり、

サンティアゴはプロビデンシアで

牛肉を堪能していた時のことだった。

 

普段、電話がかかってこない日本にいる家族からの着信。

 

年明けということもあって、新年の挨拶かもしれない。

そう思って、少し断りを入れ、その着信を拾った。

 

電話の向こうからは新年特有の明るい様子ではない。

何事かと不安になる。

 

すると突然、父方の祖母の他界を告げられた。

 

体調は崩していたものの、そのような兆候は見られず、

突然死だったとのことだ。

 

幼少期には頻繁に祖母の家に行っていたものの、

成長するにつれて、訪問回数は減っていた。

 

ただでさえ、会う回数は減るのに、

ましてや自分は南米という日本とは真逆の大陸にいる。

 

駆けつけることができない。

そんなのはこの地に来る前から分かっていたことだが、

いざその時が来るとその現実を受け入れることができない。

 

電話で報告を受けるだけの自分は何もできない。

最後に祖母の顔を拝むことすらできない。

 

一番しんどいのは実感が湧かないことだ。

 

きちんとお別れができないまま、

祖母は僕の世界から消えていく。

 

一番辛いはずの父親が感じていることすら、

僕の肌には伝わってこない。

 

これでいいのか、

と今でも自問自答をする時がある。

 

まだ自分には母方の祖母、自分の両親がいる。

 

またこのような機会が3度は訪れる可能性がある。

 

どんどん自分との距離が近い人に対して、

そのような状況になっていく。

 

その時の感情はいったいどのようなものになるのかは計り知れない。

 

教訓:地球の裏側からすぐに日本には戻れない

 

 

義母の死去で感じた自分の無力さ、泣くタイミング逃す

これは今年起きたこと。

 

別の記事にも書いたがここでも改めて書く。

 

色々要領が分からないのが海外生活のしんどいところ。

 

海外駐在していても、海外移住していても、

もしかしたら葬儀なんて悲しいイベントを経験する人は多くないはずだ。

 

2019年末から体調を崩した義理の母。

 

僕と出会う数年前に癌を患っていたが、

幸運にも治療がうまくいって、

僕は彼女の元気な姿しか見ていなかった。

 

そんな彼女の体調に異変が起きた11月。

体の節々に痛みを覚える義理の母。

呼吸をするのが時折苦しいと訴えていた。

 

心配になった家族が病院へ連れていったところ、

すぐに入院することになった。

 

ちょうどチリで社会不安による暴動が盛んな時。

病院をたらい回しにされる彼女。

本人も家族もかなり疲弊していた。

 

国外に長期間いた義理の姉がチリに帰ってきて、

少し容態も良くなって退院できた。

 

久しく家族全員が揃ったクリスマス。

誰もこのクリスマスが最後になるとは思いもせず、

いつものようにクリスマスツリーを囲むプレゼントを開ける夜。

 

2019年のクリスマスプレゼントは、

義理の母がずっと欲しがっていたエレクトーン。

 

喜んでいたのも束の間。

クリスマスが終わったと同時に再入院。

 

2020年の年明けは彼女抜き。

家族で集まることもなく、

気分も乗らないため大晦日の夜10時には就寝。

 

年が明けてからも一向に良くならず、

どんどん衰弱していくばかり。

 

妻の家族はほぼ毎日お見舞いに行っていたけど、

自分は平日は仕事、週末に数回行っただけだ。

 

しかもまだ元気な時に行っていた。

 

なぜなら小さい息子に

おばあちゃんの弱っている姿を見せたくないということで、

自分は息子と留守番をしていた。

 

最後に会ったのはいつだっけな。

多分献血しに行った時にちょっと顔を出しただけ。

それが生前最後に会った機会だった。

 

容態が悪化し、夜中に医者から呼び出しを受けた妻。

それから急いで病院へ向かって、彼女が帰ってきたのは夜が明ける前。

 

泣いている。

なんて声をかけるべきなのか。

全く分からなかった。

 

ただ抱きしめるしかなかった。

 

そして自分は全然実感が湧かないんだ。

この気持ちのギャップが複雑な気持ちになった。

 

仕事があった金曜日の朝、心は上の空。

仕事が全く手につかない。

 

昼過ぎに早退をして、日本でいうお通夜へ向かった。

と言っても様式は全然違って、

教会の離れに棺があり、そこに静かに眠っていたのだ。

 

そこには息子と行ったので、

親族に迷惑をかけないよう子供の世話をしていた。

 

義理の母の顔を見たのは一瞬、わずか1分ほど。

 

そんなに長時間拝むものでもないだろうし、

なによりも息子の前で泣き崩れてしまう恐れがある。

 

まだ翌日のお葬式もあるしな。

そんな感じでちょっと余裕を持っていた。

 

そして、葬式当日。

 

チリでできた日本人の友達家族も葬式に来てくれた。

何度か実家で一緒にアサードをして楽しんだ仲。

お別れしたいと言ってくれた。

 

伝えられた時間に葬儀場へ着いた我々。

ギリギリで到着した友人家族。

 

日本の葬式だと数時間あるし、

一人一人が最後故人との別れを惜しむ。

そんなイメージを持っていた。

 

教会の中にある棺。

多分、ここでは涙腺が崩れてしまうだろうなと覚悟していた。

 

神父の祈祷が終わり、棺が動き出した。

棺の下にある床が開くようになっており、

棺が徐々に下に下がっていく。

 

なるほど、上から覗く形式か、

と頭の中で想像をした。

 

すると棺が下がりきって、やがて床が閉まった。

 

別れを惜しむこともできずに、

もう本当に会えない存在となってしまった。

 

友人家族も驚いていたようだ。

せっかく来てくれたのに、顔を見ることすらできなかった。

 

結局自分はしっかりとお別れできなかった。

病院へのお見舞いもほとんど行けずに、

棺の中にいた義理の母にしっかりと感謝の意を示すこともできず。

 

虚しい。非常に虚しい。

無知であった自分に腹立たしいという感情すら抱いている。

 

教会で挨拶をした義理の父の言葉。

個人の魂が残された人間の中で灯し続ける限りまだ生きている。

みんなから忘れられた時が本当の死。

 

まだまだ鮮明に覚えているよ。

 

姿は見えないけど、魂は僕らの側にいる。

 

教訓:今を大切に生きる

 

失ってから気付く人の尊い命 先日は献血のご案内をさせていただき、みなさまにご協力いただいており本当に感謝しております。 ご報告ですが、...

 

ちょうどこの記事を書いている時、

一つの綿毛が入り込んでた。

 

おや、なんか珍しいな。

と思っていたら、妻があることを教えてくれた。

 

これは故人が訪れているそう。

ちょうど義理の父と妻の誕生日祝いをする前日だ。

きっと一緒に祝いたいんだね。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

 

海外生活をしているととんでもないハプニングがつきものです。

でも準備していれば回避できるものがほとんどだと思います。

 

精神的に、物質的に準備をしておく方が望ましいと思います。

 

準備に大事なのが知ること。

海外へ渡航される前は事前に情報収集を行うことを推奨しています。

 

その情報を提供できるよう、

これからもチリの情報をベースに発信していければと思っています。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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