本記事の内容
- 両親とのチリ滞在記(実質滞在日数は10日間)
- サンティアゴ・バルパライソ・イースター島情報
- 旅行時に役立つサイト集
本記事の信頼性
- 南米チリ在住6年目の純日本人男性
- チリ人女性と国際結婚、1児のパパ
- 企業戦士を支える立場で絶賛活動中
- 絶望から這い上がろうと日々奮闘中
この記事は以前使っていたブログ媒体で記載させてもらったのですが、どうしてもこちらのブログでも残しておきたい「両親との特別な思ひ出」なので、バージョンアップさせて掲載させていただきます!
特別な理由は編集後記で。
Contents
自分がツアー会社役を自ら受けた理由
あるひょんな事から親がチリ旅行の見積もり金額を伝えてきて、その金額を見た瞬間にひっくり返りました。
「2019年のゴールデンウィークを利用して一度チリ初旅行をしてみる」ということで、計画を立てていたそうなのですが、1週間程度の旅程で2名で150万円程度。
しかも4泊8日という強行スケジュール。これまでに自分は100万円を超える旅行なんてしたことがなかったので、その金額に対する免疫がなかったのです。
もちろんツアー代金の中には航空券やホテルなども含まれていましたが、ランチやディナーなどの食事は含まれていません。それらを含めると150万円どころじゃないですよね。
普通にそんな金額の見積もりを見せられて、かなり驚きました。
そんな両親に「現地で1回見積もらせてくれ」とお願いしました。
なんとしてでも、チリに来る障壁を下げたいと思ったからです。
ちょっとでも金銭面の負担を軽減することによって、チリに来てもらう機会が増えればなと思って提案。自分が日本に行くのももちろん良いのですが、1年半に1回ぐらいのペースで帰ると貯金ができません。ただ両親と息子を会わせてあげたいという気持ちがあるので難しいんですよね。
そう言った気持ちで現地ツアー代理店業務を自ら引き受けたというのがきっかけです。
旅行代金も大幅に下げることができたし、滞在期間も延びたので、今回は自分で引き受けて良かったと思いました。
もちろん代理店を使わずに自分で全部手配したので、コストを抑えることに成功。
航空券の手配からレンタカーの手配、ホテルを全部「Booking.com」で予約したりなど、できることを全部すると多少は下がってくれます。ツアーだと4泊8日だったのが、10日も滞在することができました。
当初の予算より大幅に下げて、その浮いたお金で自分も旅行できたので笑、本当に引き受けて良かったです。
後、今回はツアーではなくてフリーなのが良かった。
時間に縛られることなく好き勝手動くことができたので、ファミリーの性格に合っていたのかもしれません。
旅行の目的は観光もさることながら、両親と息子が一緒に過ごす時間にフォーカスしたかったんですよね。なので自由に動ける環境が旅の目的に合致したのです。
自由な時間を設けたい方は自分で旅程を組めるようにすると良いかもしれませんね。
ツアコンまで務めた10日間
旅行の手配から現地ツアーコンダクターを務めた10日間は正直ハードでした!
現地ツアコンのみならず、育児が付きまとうのが大変。
やはり良い子は21時には寝かせたいという思いから、一日の終わりはその辺りを目指していたんですね。でももちろん自分も両親とお酒を飲んで会話をしたいので、一旦自宅に連れて帰って、そこからタクシーでホテルへ行くとか動きまくっていました。
旅程はあまり詰めすぎていないんだけどなぁ。
ここからお待ちかね!『10日間の旅の記録』となります。
Day 1:サンティアゴ滞在
- サンティアゴ空港へ到着
- ホテルへチェックイン
- 「Le Bistrot」で昼食
- 「Sukine」で夕食
- 両親のホテルへ移動
初日は移動疲れもあるだろうし、翌日は早朝にイースター島行きのフライトが控えているのでゆっくりしてもらいました。
サンティアゴ空港から市内への移動手段ですが、基本的に信頼のおける業者に依頼することが多いです。
早朝5時20分の到着だったので、疲れている時に運転手を探しまくるという行為は避けたいですよね。
初日は「寝るだけだから」という理由で、少しホテル代を抑えるために「Hotel Presidente」というホテルの予約をとりました。サンティアゴへの到着は早朝だったので、ホテル到着後すぐにチェックインできるよう、前日から2泊分で予約。
基本的にホテルの予約は【Booking.com】を利用します。使い勝手が良いのと、何より『キャンセルポリシーが緩い』ことがお気に入りのポイント。
イースター島へ連れて行ってもらう我々家族も同じホテルに宿泊しました。子供がいるので少し大きめのエグゼクティブダブルルームを手配。子供用の追加ベッドを入れて125ドル。しかし、スタンダードダブルルームを予約した両親向けの部屋には驚愕しました。超せまい!想像以上に狭い!さすが1泊60ドル。
ホテルのエレベーターなんかも古いし小さくて、最大2名程度のキャパシティ。年季の入っているホテルなんかな?と思って、スタッフに聞いてみたら、1980年代に営業開始したとのこと。
価格を抑えたい方には良いホテルだと思います。
チェックイン後、自分は一旦自宅のアパートに戻り一休み。それから、プロビデンシアにあるフランス料理屋「Le Bistrot」へ行ってきました。
ここは何度か行っており、おもてなしには問題ないレストラン。ちょっと騒々しいのが気にはなるところですが、外国なのでやむなし。
目玉のチョリソー料理が売り切れということで少しがっかりしましたが、満足そうに食べている両親の顔を見て安心しました。
ランチを食べ終えたら再度自宅に戻り、イースター島旅行の準備をして、両親の宿泊しているホテルへチェックイン。夕飯はパトロナートにある韓国料理屋「Sukine」に行ってきました。
平日夕方のパトロナートって行ったことがなかったのですが、シャッターがしまっているとスラム感が出ていました。父親も普段見ることがない風景を目にし、少しテンションが上がっていました。両親は元々韓国料理が好きなので、料理の内容にも値段の安さにも大満足。
パトロナートには結構韓国料理屋さんがあるけど今のところ一番好きなのがSukineです。
Day 2:イースター島の初日
- イースター島へ到着後はすぐにホテルへチェックイン
- レンタカーの手配と国立公園のチケット購入
- ランチを食べた後に町中をぶらついて、サンセットを堪能
- 「居酒屋甲太朗」で夕食
僕らが乗ったイースター島行きのフライトは早朝発。朝が早すぎて萎えましたが、頑張って「2時半起き」です。
今回は「三谷トラベル」へ航空券の依頼。日程を1日ずらすだけで相当値段が変わったので、サンティアゴ到着後翌日にイースター島へ行くという、ちょっと強行なスケジュール。それでも往復で一人850ドル程度もしました。
一応「LATAM航空の情報」によると、搭乗時刻の3時間前には空港に到着している方が良いとのことです。早朝3時50分には空港に到着しておりました。
自分らがイースター島へ旅した時は、サンティアゴ空港の2階にあるゲートで搭乗手続きを行いました。
2階のゲートに行く前に、3階の航空会社カウンターで「申告書」を受け取る必要があります。
旅行客は、「Datos Personales」と「Ingreso como Tursita」に情報を記載する必要があります。「旅行日程」と「宿泊先名と住所」を記載しましょう。
ホテルは【Booking.com】で手配しました。旅行の3ヶ月前に手配を開始しましたが、結構「空きが少ない」と感じました。とりあえずという形で、少し良さげかつ空きが少ないホテルを仮予約。
まず気になるホテルがあれば、仮予約をしておきましょう。キャンセル料がかからない内に、別のホテルをゆっくりと探すということができます。最悪他に良いホテルが見つからなければ、仮予約のホテルで確定すればいいだけなので安心。
宿泊したホテルは、「Puku Vai Hotel(プク・バイ)」という空港から徒歩圏内のホテル。2人1部屋で1泊240ドルと安くはありませんでした。ちなみに大人2人子供1人で1泊280ドル。【Booking.com】で予約を取っても、ホテルの正規料金と同じで、「お得感はなかった」です。
ホテルは南国感が漂っており、我々を除くと客層は静か。のどかな時間を過ごせるのでオススメ。イースター島では5月は雨季のようで、天気が曇りがちでした。気候さえよければ中庭にあるプールも最高ですね。
ホテルの部屋から直接中庭に出れるのですが、窓を閉めてしまうと外から開けれない仕組みになっているので注意です。
イースター島のレンタカーはあらかじめネット予約していこうと思っていたのですが,
もちろんすっかり忘れていて現地調達です。ホテルに紹介してもらった「Insular Rent a Car」でレンタルをしました。
ホテルのスタッフに希望車種を伝えると、レンタカー屋さんがホテルまで持ってきてくれました。レンタルの契約書にサインをして、カードで支払いを済ませるとすぐに利用できたのでありがたかったです。幼児がいたのですが、チャイルドシートについては特に問題なさそうな雰囲気でした。
レンタカー料金はホテルの協定価格はなく、ホームページに記載されている通りの価格。2日間と2時間の利用だったので、20万ペソ(約330ドル)を支払いました。
早速、その借りたレンタカーで国立公園の入場チケットを購入へ。町の中心地へ向かいました。
ちょっと分かりにくい場所にあるので、ゆっくりと車を走らせてください。
Hanga Roa(ハンガ・ロア)の町中は制限速度30km/h、町の外は50km/hとなっています。
チリ人およびカルネを持っている外国人向けの入場券は2万ペソ、外国人は5万4千ペソと結構差をつけていることが印象的でした。チケットは最初に使用した日から10日間有効で、「Orongo(オロンゴ)」と「Rano Raraku(ラノ・ララク)」だけは1回のみと制限回数が決められております。
各場所の入り口にブースがあり、そちらでその券を提示する必要があります。紛失には気をつけましょう。
昼食のレストランは適当にふらっと「La Kaleta(ラ・カレタ)」というところに入りました。海岸沿いにあるレストランで、「店内からビーチにでることができる」ので子供連れには最高でした。
ちょうど料理の提供も遅く、待機中は息子とビーチで遊んでいました。料理の見ためはそんなに良くないですが、個人的にはそこそこ美味しかったです。
イースター島初日だったので土地勘もなく、サンセットのベストポジションまではたどり着けませんでした。移動中に日が沈みそうだったので下車したのですが、その場所からでも良いサンセットを眺めることができました。墓地より少し南側に並んでいるレストランの正面。
ホテルのスタッフに、「居酒屋甲太朗」について聞いてみたところ、親切に予約までとってくれたのです。レストラン周辺道路は街灯が少なく、場所がわかりにくかったです。それでも19時半ぴったりにレストランへ到着しました。
店主は日本語・英語・スペイン語を話せるチリ人。奥さんが日系チリ人で、どうやら息子さんに「甲太朗」というお名前をつけられているようです。
その日のオススメは「白身魚の西京焼き」。酢の物と味噌汁と米がついている定食でした。僕は海鮮丼を注文したのですが、つまみ食いをした限りでは、「白身魚の西京焼き定食」や「天ぷら定食」も美味しかったです。
お味は相当おいしかったのですが、気になるお値段の方は。大人4名で約330ドル。一人80ドルと、定食と軽く一杯にしては少し高めの値段設定。
メニューには値段が表示されていません。
周りの客は日本人旅行客と外国人カップルだけでしたが、それでほぼ満席状態となります。
https://blogdemoai.com/?p=2209
Day 3:終日イースター島
- サンライズを堪能しにトンガリキへ
- 午前はアナケナビーチとアフ・ナウナウ
- 午後はラノ・ララク
- 「Mamma Nui」で夕食
レンタカー屋のスタッフから、「サンセットは6時45分だ」というアドバイスをいただきました。6時半に両親とサンセットのホットポイントである「Tongariki(トンガリキ)」へ。
妻と息子は連日早朝からの行動で疲れており、ホテルでゆっくりとした朝を迎えました。
早朝で辺りは真っ暗。非常に道が分かりづらかったのですが、たまたま先導してくれる車がいたので助かりました。
島内は制限速度が50km/hですが、早朝はもう少しゆっくり走りましょう。島の縁に道路があり、うっかり太平洋にダイブなんてことも考えられます。
モアイ15体が並んでいる風景は圧巻。ちょっと残念だったのは、大きな雲が出ていたこと。
サンセット後は一度ホテルに戻って朝食。島の最北端にある「Anakena(アナケナ)」ビーチへ。
アナケナビーチにたどり着く前にも、モアイ。大きな海を見る息子は大喜び。海パンなんて持参しておらず、ズボンもパンツもびちょびちょ!
子連れの方は海パン持参をオススメします。
息子がえらく気に入ってしまったので、ビーチを去る時に号泣。眠たくてさらに号泣、おまけにお尻についた砂が不愉快で号泣。今までにないぐらい泣き喚いていました。
ビーチからしばらく車を走らせ、「Rano Raraku(ラノ・ララク)」という観光スポットへ。
この地でモアイが作られていたようです。作りかけのモアイや横たわっているモアイ。凛々しいモアイなどさまざまなモアイ。
ここでは必ずトイレに行っておきましょう!笑
お土産売り場や売店もありますので、ちょっと一息。ここイースター島のスイーツは『Po´e』というバナナ味のケーキ。5口目ぐらいから美味しく感じると思います。
ラノララクを後にしてから、色々な観光スポットへ寄りました。特にこのブログに書くような目玉な場所ではありませんでしたが、両親はひとつひとつの跡地に感激していました。
その後は、「Ahu Akivi(アフ・アキビ)」というスポットへ。モアイと馬がコラボレーションしている、なんとも言えない光景を楽しむことができました。
さぁ残すところは、サンセットと夕食のみ。しかし、少しヒヤッとしたことがあったのです。自分らが滞在していた日の5月1日は「メーデー」でチリ国内では祝日。イースター島では、夕方5時ぐらいまではいろんなお店が空いていたものの、通常よりも早く閉店していました。
ホテルもその日のディナー提供はなし。「多くのレストランが閉まる可能性あり」と聞いて一同大慌て。とりあえず、まだ営業していたパン屋で「エンパナーダ」を人数分購入して食料は確保。
ホテルからサンセットへ向かう途中にあったレストラン何軒かに聞いてみたけど、やはり閉店が多数。海岸沿いに行くと、ようやく開店していそうなレストランがちらほらと。
少し安心したところで、本格派サンセットのポイントである「Ahu Tahai(アフ・タハイ)」へ。多くの観光客がいましたが、大きな草原の中で息子が走り回って楽しそう。息子だけ勝手に走ってくれれば良いのですが、もれなくパパも一緒に走らされます。
その後、「Mamma Nui(マンマ・ヌイ)」というレストランへ。嫁曰く、「愛想の悪い店員だった」とのことで、行くかどうか迷いました。結局は仕方なく行ったんですが、味もそこそこ美味しく、愛想が悪いと思っていた店員も実は「お茶目なおじさん」だったことが判明。総じて良かったと思っています。
先日たまたま、このホテルで勤務をされているという女性と繋がることができました。現在ホテルは休業中。全室エアコンとケーブルテレビが設置されています!朝食をとるレストランはオーシャンビューのようです
Day 4:イースター島最終日
- 午前はオロンゴ村とお土産屋
- レンタカーの返却とサンティアゴ行きの復路
- サンティアゴ市内ホテルへチェックイン
イースター島最終日だったので、午前中の半日だけ観光。本当はサンライズを再度見に行く予定だったのですが、旅の疲れが出はじめており断念。ホテルのチェックアウトをしてから、まだ訪れていない「オロンゴ村」へ。空はあいにくの雨雲。
地図上では、滞在先のホテルからオロンゴ村まで近いように見えたけど、車で走ってみると丘をどんどん登っていくので結構時間がかかりました。丘には町全体を見渡すことができる展望台があり、ひとまず休憩。
オロンゴ村では、イースター島の「バードマン」たちが競い合って、卵を持って上がるというイベントが開催されていたようですね。てっぺんまで登ると見事なクレーター。これ滑って落っこちたら正直戻れないです。でもその昔、その中にいた水鳥なんかを狩猟していたようです。
息子はこんな時に甘えん坊炸裂。オロンゴ村にいる間、ずっと抱っこをしながら歩いたので、相当ハードな観光地だという印象が残りました。
オロンゴ村を後にし、お土産屋さんへ。両親は空港へ到着した時から、お土産の心配をしておりました。「Mercado de Artesanal(メルカド・デ・アルテサナル)」という、町の土産売り場に寄りました。
自分たちのお土産には、「定番モアイのマグネット」2つと、「イースター島の石でできたモアイの置き物」を購入。それと、義姉用に「バードマンの本用しおり」をネタに購入。両親は、「モアイの置き物」をいくつかと、「イースター島にある植物から抽出されたフレグランス」を購入していました。
「全体的に物価が高すぎる」と前評判のあったイースター島。隣にいたチリ人妻のおかげかもしれませんが、思ったよりそうでもないなと。
レンタカーの返却方法はユニークでした。レンタカー屋で点検して、空港の駐車場に乗り捨て。ガソリンを満タンにし、レンタカー屋で車両に傷がないか点検してもらいます。
フライトの時間に合わせて、12時50分には空港に到着する予定で動きました。12時半頃にレンタカー屋へ行ったのですが、点検と言ってもほぼノーチェック。ガソリンも入れたと伝えたけど、メーターの確認は行われませんでした。
その後に妻が「お土産を買いそびれた」と言い出し、レンタカー屋周辺のお店に寄ったけども良いお土産がなかった!
終盤、そんなこんなでバタバタとしたけれども、一応予定通り空港の駐車場へ到着。そして駐車場のど真ん中に車を放置し、荷物を取り出して空港内へ。
空港入り口すぐ右に、預け荷物の検査場があるのですが、視野のとても狭い僕はスルー。
ちょっと気づきにくいかもしれませんが、預け荷物がある方は見落とさないように注意しましょう。
空港内にも何件かお土産屋さんがあるので、妻のようにお土産を買いそびれても大丈夫です。
今回は2泊3日という旅程でしたが、小さい子供連れであれば「後1日あればゆっくりと回れたかな」と思っております。実際、博物館には行けずじまいでしたしね。
やっぱり謎なところが多い観光地なので、ガイド付きであれば理解が深まっていたかもしれません。ただ今回は息子がいたので、「時間に縛られたくない」というのがあったため、ツアーには参加しませんでした。
気をつけないといけないのは国民の祝日ですね。今回はメーデーという祝日に当たってしまいましたが、9月18日の「チリ独立記念日」に合わせて、ご旅行される方も多いのではないでしょうか? レストランやショップが早く閉まってしまうことや、また閉店していることなんかもあるかもしれませんね。
前情報では、サンティアゴから食料品を「むっちゃ持っていった方が良い」というアドバイスをもらいましたが、2泊3日であれば「気合い入れて持っていくことはない」と思います。長期滞在予定であれば、ちょっと多めに食料品を持っていくでしょう。
「数年後にもう一度訪れたい」と思っております。別にモアイにもう一度会いたいわけではなく、久々に「南国感を味わうことができた」のが個人的には良かったです。チリ人妻も同じ印象です。息子が少し大きくなって、日々のストレスから逃げ出したい時にまたゆっくりと滞在したいと思います。
帰りの機内でも、イースター島に行ったんだという雰囲気を醸し出してくれていました。
Day 5:サンティアゴで両親初顔合わせ
- レンタカーの手配
- サンティアゴでゆっくりと過ごす一日
- 両親初顔合わせ
僕は車を所有していないので、サンティアゴ市内ではレンタカーを借りて移動手段にしようと思っておりました。今まで一度も借りたことがなかったので、要領が全く分からない。レンタカー屋ウェブページのチャット機能を利用して質問をしてみました。
チャットですぐに回答してくれるのは良いんですけど、同じ情報を何回も要求されて大変疲れました。結局、知りたい情報を得ることができず、エイヤーでウェブ予約を行いました。
予約時にクレジットカードで支払いを行う必要があります!支払い手続き完了後、きちんと予約確認の連絡も来たので一安心。
「Piamonte」というレンタカー屋に決めたのは、アパートから近いところに事務所があったから。スーツケースや乗車人数を考えると、使い勝手の良さそうな SUV を選択。
レンタカー屋に到着して、受付に「車の引取りに来た」ことを伝えると、「予約が入っていない」と回答がありました。
出た!!!
正直、「こういったやり取りが面倒くさい国だ」と思いながら、銀行からの支払い通知などを見せ、説明しました。どうやら事務所内にいた他のメンバーのところに、自分の予約情報が入っていたようです。この「情報共有の悪さ」もチリっぽくて微笑ましかったです(ニコッ)。
ようやく予約確認ができたところで、契約書に署名。それから保証金の支払いを行いました。
ここが盲点だったのは、保証金として2百万ペソ(約33万円)をクレジットカードにチャージする必要があるということ。
カードの利用上限額がギリギリそれ以上はあったので良かったですが、「多くの国民は借りれないな」と思いました。
それか外国人だから?
そんなこんなで手続きが完了。引取り時には、外傷有無とガソリンメーターの残を確認。ガソリンは「4分の1」しか入っておらず、おまけに「そのレベルで返却しないといけない」ようです。満タンで返却だったら楽なのに、返却前の調整がダルいです。
金額:277,971ペソ
6日間で約3万8千円(2020/7/29のレート)
- 外国人の場合はパスポートと国際免許提示
- 40万ペソ以上の保証金(車種による)
- キャンセルフィーは支払い額10%
- 走行距離制限なし
でも快適です、日産エクストレイル。
サンティアゴ初日に宿泊したホテルは、そんなに快適ではなかったので次のホテル『Hotel Diego de Velazquez(ディエゴ・デ・ヴェラスケス)』に期待。部屋もそこそこ広くて、雰囲気は良かったです。
やはりエレベーターは小さかったですが。
ただ母親がシャワーを浴びてる時に、「シャワールームの鍵がかかってしまった」らしく、「中からも外からも鍵が開かなかった」というトラブルが生じたようですが。とりあえずホテルのフロントに助けてもらったらしいですが、外から小銭で鍵穴をまわせば、簡単に開いたようです笑。
この日は、『コスタネラショッピングセンター』へ行くことにしました。「ショッピングセンターはどこも一緒やな」という感想をいただいたので、ちょっとスパイスをきかせるためにモール内のSUSHI屋さん『SENZ』へ連れて行きました。
食べ終わってから気づいたのですが、チリにある【エセ寿司屋】の中でも非常にクオリティの低いレストランでした。
まず妻のグラスが汚れていたので、取り換えるように店員にお願いをしました。次に、取り皿を持って来てくれたのですが、また妻の皿に汚れが。妻の顔を見たらブチ切れ寸前でしたね。
そして肝心な寿司もほっぺたがハムスターかのように膨らむぐらい米の量がありました。クソまずく、おまけにサービスの悪いレストランを選び、大失敗。しかも、大人4名で1万円です。
もう一生行きません。
日本だったら、緊張するシーンだったんだろうな。ただ何でか全く緊張という感覚がなかったですね。どうせ言葉が分からないし、良いも悪いも分からんと思っていたし笑。でもお互い言葉は分からずとも、気があっていたようで良かったです。
お互いの国のお土産交換なんかもしていて微笑ましい限りです。日本からは和風の掛け軸、チリからはラピスラズリが入った時計。アメリカン秋田犬のアキラくんも日本の両親に可愛がられていて嬉しそうでした。
楽しいときは時間が経つのが早く感じるものです。
Day 6:サンティアゴでゴルフ
- サンティアゴでゴルフ
- バルパライソへ向けて移動
- バルパライソ市内のホテルへチェックイン
- 「Tiki Taco Bar」で夕食
日本を出国する直前に、ゴルフに行く予定を組んでしまった我々。当時、チリにいた日本人の友人に協力してもらい実行しました。
サンティアゴ市内のホテルをチェックアウトして、一旦自宅に荷物を運搬。それから友人Kさんの車でゴルフ場へ。
日本での社会人時代に、年に数回ゴルフに行く機会があり、また両親ともたまに行っていました。しかし、チリに来てからは一回もしたことがありません。子供が生まれたばかりの頃は、週末に出かけると妻からの視線がすごく痛かったので、出かけるのが億劫になったのです。
それに、やはりゴルフは「時間」と「お金」に余裕がある方向けのスポーツだと思っています。
サンティアゴ市内から車で走ること約30分。今回は会員でなくてもプレイできる「マポチョ」へ。空港の近くに位置するゴルフ場では、2分に1回ぐらい、飛行機が離陸していました。
僕のゴルフセットはほとんど人からの頂き物。
- ゴルフバッグ:元先輩のお下がり
- ドライバー:元雇用主のお下がり
- アイアンセット:バザーで千円にて購入
- パター:得意先の方からの頂き物
- 手袋:別のスポーツ用
- サンバイザー:友人からの借り物
いつも僕に物を恵んでくれる皆さま本当にありがとうございます!
約5年ぶりとなるゴルフのスコアは、ブランクがある割には119とまずまず(ショボ!って思ったアナタ、コメント欄でスコアを公表しなさい!)。これから一生懸命に家事も行なって、しっかりと稼げるようになって、たまにはゴルフに行けるようになりたいな笑。ゴルフ行くと1日つぶれてしまうのが難点ですね。
このゴルフ場の特徴は、(その日だけかもしれないが)ラフが長くて、ボールの在り処が全然分からないこと。これによって時間もスコアも通常より多くなりました。アンデスを見ながらのゴルフは最高。友人Kさんどうもありがとう!
- プレー費用:約5千円/名
- 電動カート:約4千円/2名
- 軽食:約千円/名
ゴルフは午後4時ぐらいに終了。一度帰宅し荷物と家族をピックアップ。そこからバルパライソ方面へ車を走らせました。
約2時間ほど走行した後、ようやくバルパライソへ到着。今回のホテルは「Hotel Ankara(アンカラ)」一室に2部屋あるのが気に入って予約しました。
トリプルルームの正規料金は245ドルだけど、【Booking.com】で予約したら174ドル。イースター島とは異なり、このホテルであれば【Booking.com】で予約した方がお得感がありました。が、、
部屋とか風呂は雰囲気がいいんだけど、風呂兼トイレが奥の部屋に入らないとアクセスできないところだけマイナス。
これでは豪快な音が出せないですよね。
なので一階にある「共用トイレ」を使うことをオススメします。
駐車場はあるけれども、自分で駐車することは難しく、スタッフに車と鍵を預ける必要があります。初めてのホテルなので、車を渡してしまうことにちょっと抵抗がありました。まぁ、「ホテルだし大丈夫だろう」ということで、貴重品は全て出してからスタッフに預けました。
この日の晩のレストランは特に決めていませんでした。ホテルはレストラン街だったので、フィーリングで決めることに。僕はホテルの向かいにある「イタリア料理」が良かったのですが、多数決でメキシコ料理の 「Tiki Taco Bar」になっちゃいました。
嫌な予感はしていましたが予感は的中。料理自体、マズくはないんですが、なんかパッとしない感じ。まぁ「中南米の雰囲気を味えたので良し」ということにしました。
Day 7:バルパライソ観光
- 博物館「Museo Fonck」へ
- バルパライソの観光名所「花時計」へ
- 「Cocina Puerto」で昼食
- 「ソトマジョール広場」を散策
- ショッピングモールを徘徊
- 「Cuzco Sabores」で夕食
ホテルで朝食を取った後、バルパライソ方面の観光へ。まずは「チリ本土にいるモアイ」を拝みに「Museo Fonck」へ。モアイが一体展示されているので、イースター島まではちょっと遠いという方は、とりあえずここでご覧いただけます。
チビ助はモアイにはまったようで、ずっと「モアイ見たい!モアイ見たい!」と言っており、久々の再会に感動していたようです。
石碑にバードマンのことについても記載されていましたが、どうやら「Tangata Manu(タンガタ・マヌ)」という民族(鳥人?)のリーダーを決めるために、毎年春に競い合いがあったみたいですね。
博物館の後は、花時計へ。車で行ったため、駐車場を探す必要がありました。花時計の右手に長い上り坂があり、そちらにみんな停めています。登りきったあたりに、ようやく空きスペースがあったので、そちらに停車。誘導をしてくれるおじさんがいるので、車を出すときには、500ペソ程度をチップとして渡しました。
花時計周辺には外国人が多く、中でもベネズエラ人グループが多いという印象でした。スターウォーズのコスプレをしている者もいましたが、おそらく一緒に写真を撮って、チップを稼ごうとしている輩かなと思ったので近づきませんでした。
次はバルパライソの丘へ。車は丘の上に路駐。散策していると、宝石商というか手作りアクセサリーを販売している「(自称)元海軍」は、横浜など日本の主要な港へ行ったことがあるそうです。このアクセサリーは現金払いはもちろんのこと、「物々交換でも良い」という変わった販売スタイル。残念ながら適当な物々交換用の物品がなかったので、おとなしく現金で購入しました。
バルパライソの夜間は危ないかもしれないということですので、ランチをこの地区でとりました。我々がフィーリングで選び、事前予約したレストランは「Cocina Puerto(コシーナ・プエルト)」
店の外観はちょっと怪しいものの、総合的にはだいぶ気に入ったレストラン。ギターを弾きながら歌っているチリ人男性。イースター島ソングも歌ってくれましたので、1,000 ペソのチップを渡しました。
この近くにあった別のレストランで、水槽に入っている「Langosta(ロブスター)」を見かけました。前述のレストランを予約してしまったので諦めましたが、次回は行ってみたいレストランです。
コンセプシオンのケーブルカーの角度が結構急で、母親は少しビビっていました笑。この丘のおかげで、チリで「一番美脚の女性が多い町」として知られているようです。
ケーブルカーで下りて、『ソトマジョール広場(Plaza Sotomayor)』へ行ってきました。ちょうど140年ほど前に戦死した『アルトゥーロ・プラッ(Arturo Prat)』の記念碑がそびえ立つ広場。カラビネロス(軍事警察)の車輌や昔の消防車なんかも映える街並みです。この町はサンティアゴが都市化する前は、貿易で一番重要な町だったとのことです。この広場の少し北側には金融関係の建物が並んでいます。
父親が「丘の上からの眺めを味わいたい」というので、車を適当に走らせました。途中、水産関係の工場や倉庫がある団地に迷い込んでしまった。ちょっと足を踏み入れたくないぐらい雰囲気が変わりましたので即引き返し。循環バスが走っている道を選びつつ、丘の上を目指しました。丘の上からの眺めが良く、父親も満足げな顔をしておりました。
ちょっとバルパライソはお腹いっぱいになったので、ショッピング好きな両親はまた「ここらのモールへ行ってみたいわ」と。日曜日の夕方に、思いつきでモールへ行きましたが、 モールの周りは駐車場へ入る車で渋滞。モールはやはりどこも一緒で、行かなくても良かったかなと少し後悔。その後は、少しホテルで休憩しディナーへ。
日曜日の夜をなめたらあきません。やっぱり閉店しているレストランが多く、南米の日曜日を味わいました。幸いにも、ホテル周辺はレストラン街だったので、多くのレストランは空いておりました。
「南米を味わってもらおう」ということで次はペルー料理の「Cuzco Sabores(クスコ・サボーレス)」。
ペルー料理は日本人のお口にあうので人気がありますよね。チャーハンなんかもありますし。結構な量の料理を頼んでしまったので、あまった料理はお持ち帰り。こっちのレストランでは、「気兼ねなくお持ち帰りを頼める」ので、翌日のランチとかにしています笑。
Day 8:アウトレットとワイナリーレストラン
- 帰路にあるアウトレットへ
- ワイナリーレストラン「Tanino」で昼食
- サンティアゴ市内のホテルへチェックイン
この日は観光の予定はなく、ビーニャ・デル・マルからサンティアゴへの帰路にある「アウトレット」へ。68号線沿いに「Curauma(クラウマ)」という地域があり、そちらにひとつ「Arauco Premium Outlet Curauma(アラウコ・プレミアム)」というアウトレットがあります。いつもバルパライソ方面へ行く時には立ち寄るアウトレットです。
基本的に、サンティアゴ市内で洋服を購入することがあまりないのですが、このアウトレットではたまにお買い物します。数年前には、あるセレクトショップでお気に入りだったブランド「Diesel」の洋服が置かれていました。ニーズが少ないからか、最近は見かけません。
買い物好きの両親は、ここでは中国人もビックリの爆買いをかましていました。まず、アウトレットの一番端にある「アディダス」から見て回ったのですが、その隣にある「ラコステ」と合わせて、1時間ぐらい滞在していたのではないでしょうか。
「アディダス」では、父親のTシャツ数枚と僕のスタンスミスを一足お買い上げ。「この時期のサンティアゴは寒いから、暖かい格好で来るように」というアドバイスをしてしまったので、半袖Tシャツを全然持ってきていなかったようです。確かにこの旅行中、日中は暑い日が続いたので暑がりの彼らには少し過酷だったかもしれません。
その隣の「ラコステ」では、妻のスニーカーを含む計6点。チリブランド「Amphora」というカバン屋もあります。そちらでは妻のバッグを含む計6点。値段の割に、「そこそこ可愛らしいデザインと質だ」ということで、日本へのお土産として購入していました。その他、チビ助へのプレゼントとして「レゴ」も買ってくれ、僕は自転車通勤用の「マスクと手袋」を購入し、アウトレットを後にしました。
この日のランチはアウトレットと同じく、サンティアゴとバルパライソ間にある『Casa blanca(カサ・ブランカ)』という地域にあるワイナリーへ。この地域には、多くのワイナリーがあり、その中の『Casas del bosque(カサス・デル・ボスケ)』というワイナリーにあるレストラン『Tanino(タニーノ)』へ。一緒にゴルフをしてくれた『友人Kさんのオススメ』だったので、今回初めて行くことにしました。
アウトレットにいる時、念のために電話予約を入れておきました。レストランへ到着したのは、なんと15時。THE日本人の両親は12時に昼食を取らないと痺れが出てくると思っていましたが、この旅行でチリの文化そのものを楽しんでいただけたと思います笑。
僕は残念ながらドライバーだったので、それぞれのワインに舌を「ちょこっと」つけただけですが、シャルドネやカルメネールなど美味しかったです。
料理はこんな感じ。
レストラン隣の売店で、お土産として数本のワインを購入しました。気になるワインがあれば「試飲できる」ということが他のワイナリーと違うのではないでしょうか?
『Casas del bosque』のワインはお手頃な価格帯が多いので、お買い求めやすいと思います。ここのメインは『Syrah』って言っていたかな?
旅行も大詰めだったので疲れを癒してもらえるよう、最後は少しランクの高いホテル「「Plaza El Bosque Ebro(プラサ・エル・ボスケ・エブロ)」へ。部屋にはキッチンと小さな居間があって、チェックイン後少しゆっくりとすることができました。
この日はランチも遅かったため、ディナーは不要。「ホテルで一杯やろうよ」ということだったので、チビ助をホテルの部屋にいる両親に預けて、一旦アパートへ車を置きに帰りました。僕は日本土産の「インスタント焼きそば」を流しこみましたが。タクシーでホテルへ向かい、23時頃までホテルのバーで飲んでいました。チビ助もその時間まで滞在して、爺さん婆さんとの時間を楽しんでいたようです。
父親にホテルの感想を聞いたところ、「これが俺に相応しいホテルや」と言っておりました。どうやら日本では「S級」や「A級」というカテゴリーのホテルにしか宿泊しないようです。それがどれぐらいのレベルかは知らないけど、それだったら最初からそう言ってくれとは思いました。
Day 9:サンティアゴ観光
- 旧市街地散策
- 中央市場でランチ
- 中古車売り場散策
- お土産の調達
- 「Naoki」でディナー
日本で旅行をする時は、いつも午前8時ぐらいから動かないと気が済まないような両親ですが、ここはチリ。僕の妻も息子もチリ人なので、そんな早くに動けるわけはなく、10時半にホテルへ到着。そこから旧市街地方面へ車を走らせました。せっかくの機会なので、僕が勤務させていただいるオフィスや、何年か前にTV撮影をしてもらったベンチなんかも紹介しました。
「モネダ宮殿」の地下駐車場へ車を止め、そこを中心に観光スポットへ。以前はモネダ宮殿の正面にも行けたはずだけど、セキュリティを強化していたからか、近寄ることができませんでした。モネダ宮殿を中心に各省庁のオフィスがあるのですが、この辺りの建物は海外に来た感を強く感じることができるのでオススメです。
次に「アルマス広場」へ向かい、そちらにある「大聖堂」へ入ってみました。何度も入ったことあるのですが、教会の中の静粛さであったり、壁画やステンドグラスなど、仏教徒には刺激的なものが多くお気に入りのスポットです。昔、この中で妻と「結婚しようね〜」なんて言っていたことを思い出しました。
アルマス広場周辺には、郵便局や博物館、サンティアゴ市役所などもあります。妻はグラフィックデザイナーとして一時期、サンティアゴ市役所で働いていたことがあるようで懐かしがっていました。今は「STGO」という記念撮影スポットもできています。なかなかポーズが決まらないのか、先に進まないので遠近法を利用して撮影をしておきました。
旧市街地はごちゃごちゃした雰囲気があるので、路上では手荷物に注意しましょう。よく「ケチャップ強盗が発生する場所」がこのアルマス広場でございます。
次に、少し北上して中央市場へ。圧倒されるぐらいの魚や海鮮の量で、息子の目が輝いていました。当時のブームは、「生魚を指でプニプニって押すこと」。何度もお願いをされたので、市場のオジさんの目が気になりました。
この日のランチは少し離れた場所にある「I Ching(イーチン)」という中華料理屋さんでとる予定でした。しかし、目の前に並んでいる魚の誘惑に負けたのか、中央市場のレストランでランチを取ることに。
この市場の中央にある「Don Augusto(ドン・アウグスト)」というレストランからの呼び込みが激しいのですが、これに嫌気をさした我々は超マイナーなレストラン『Pailas Blanca(パイラス・ブランカ)』へ。2015年にその「Don Augusto」でウニ料理を食べた時に、酸味が強くて参った記憶があります。
しかも、観光客プライスで気に入らなかったので、個人的にも違うレストランを試してみたかったのです。
この「Pailas Blanca」というレストランは清潔感がないものの、料理の味自体はまぁまぁおいしく、価格帯も良心的だったので良しとします。
その後、モネダ宮殿の地下駐車場から車を出し、父親が興味を示した中古車センターへ向かいます。駐車場料金が約3時間の利用で「1万ペソ」とすごく高かったので驚きました。
お土産屋さんの数は多くなく、旧市街地方面にひとつ、「Los Dominicos(ロス・ドミニコス)」という地域にひとつ大きな商業施設がございます。
旧市街地の方が「バラ巻き用のお土産」に最適な商品が多く、「Los Dominicos」の方はもう少し小マシな商品を購入することができます。
【サンタルシアの丘前にある土産屋】
所在地:Alameda 510, Santiago
営業時間:月〜土 10時から18時
【Los Dominicos にある土産屋】
所在地:Apoquindo 9085, Las Condes
営業時間:毎日 10時半から19時
今回は旅行者がオジさんオバさんなので、「Los Dominicos」の方へ連れていくことにしました。お土産を選ぶのに集中してしまい撮影しそびれたのですが、ここでは「ラピスラズリ」や銀を使用したアクセサリーショップや革製品、セラミック製の食器やチリ産の食品などが手に入ります。
それから、スーパーに寄ってみたいということでしたので、「Jumbo(ジュンボ)」というスーパーに連れて行きました。今回行った「Jumbo」には地下駐車場があり、そこに車を駐車。そして、目の前にあるレストラン街から今回は「Naoki」という日本風のレストランへ。
日本食レストラン情報は以下の記事からどうぞ!
https://blogdemoai.com/?p=2349
19時半前に予約なしで店へ入ったのですが、テーブルはほとんど予約者向けで埋まっていました。21時からの予約向けのテーブルに通してもらえたので、今回は良かったのですが、きちんと予約を取っておくべきでした。
「アジアン風な顔」をしている客には特別に1品サービスしてくれるということで、人数分の「魚のアラ塩焼き」を提供していただきました。焼き鳥なんかも美味しく、少し価格は高めかもしれませんが、割高感はないのでオススメ。両親も満足していたので一安心。
Day 10:最終日
- チョコレート屋とワインショップへ
- 「サンクリストバルの丘」散策
- 「Sukine」でランチ
- 実家で最後の団欒
- 空港へ見送り
ついにサンティアゴ最終日。午前11時にホテルのチェックアウトを行い、お土産を買うためにチョコレート屋さんとワインショップへ。まだホテル周辺で買い物をしたかったので、車をホテルに預けたままにさせてもらい、少しお出かけ。
モアイのチョコレートが売られているショップ『CARAMEL(カラメル)』へ母を案内したのですが、残念ながら在庫がありませんでした。ものすごく残念そうにしている母を見て、お店の方が「色の組み合わせは悪いけど用意できる」と、1箱準備してくれました。
次はワインショップへ。「Mundo del Vino(ムンド・デル・ビーノ)」というショップで、サンティアゴ市内に数店舗あります。今回行ったのは、Wホテルの下に入っている店舗。
実はここの「Neighbors Club」という無料会員に入っており、ポイントカードがたまっていました。そのポイントで、約2千円程度のワインボトル6本をいただきました。
この会員権は「近所に住んでいる」または「近隣で勤めている方」に与えられるようです。
実は、2015年7月にチリに来て以来、この日まで「サンクリストバルの丘」へ行ったことがありませんでした。一度、ふもとまで行ったのですが、たまたま祝日で行列ができていたので避けたきり、近くにも行けてなかったのです。せっかく両親がサンティアゴに来たし、あまり行くところもないので、これを機に「サンクリストバルの丘」に行くことができました。
詳細はこちらのサイトで確認できます。
>>「Teleferico Santiago」のウェブサイトへ
車で「Tupahue(トゥパウエ)」というところまで上がり、そこからはロープウェイで頂上へ。サンティアゴの秋冬をなめていましたが、相当空気が悪い!眺めを楽しむことは全くできませんでしたが、山頂にある像を拝んで清い心になって下山。
丘にもレストランがあるようですが、両親のお腹は韓国料理モード。まさかの初日に食べた韓国料理屋さんへカムバック。やはり庶民派、西洋風のきどったレストランよりも、大阪鶴橋のような雰囲気を醸し出しているようなところが落ち着くようです。
それから妻の実家へ連れて行き、僕ひとりでレンタカーの返却へ。返却はイースター島ほどは甘くなかったものの、スタッフが外装とガソリンのメーターをざっくり確認し点検終了。最後に、事務所で2百万ペソの保証金を解除してもらって返却手続きは完了。そこからトンボ帰りで実家に。
空港のイミグレを抜けるまで見送って、僕の「フルアテンド」は終了しました。
旅行向けに使った便利サイトのまとめ
ホテル
海外ホテル検索、Booking.com
Hotel Presidente(プレシデンテ)
レストラン
日本食レストラン
編集後記
両家による最初で最後の顔合わせとなったのです。
日本とチリという距離や日本語とスペイン語という言語の違いによって、結婚に至るまでに両親の顔合わせは実現できませんでした。
何度かテレビ電話でチリの家族と一緒にいる様子を見せたりしていたぐらいです。
なので昨年の旅行は親族にとって大事な旅行となりました。
昨年旅行に来てもらって本当に良かった。
その時は誰も想定していないことが、旅行後の1年間で3つも起きたんですよね。
まずチリでは10月18日から暴動が起きてしまいました。その暴動によってサンティアゴセントロを中心に街はズタボロに。街中燃やされるし、建物は落書きだらけ。自分の好きだった状態が壊滅的なことになりました。
同時期に義母の体調不良が重なりました。11月から入退院を繰り返すことに。暴動のさなか、チリの家族は病院へ走ったりと慌ただしい生活をしていました。2020年1月17日に帰らぬ人となりました。
それに加えて今はコロナ禍で海外旅行ができるような状況じゃないですよね。
本当に昨年来てもらってて良かったなと思っています。
これを教訓に「今を楽しむべき」と自分に言い聞かせています。
いつ何が起きるか分からないですよね。
大事な人と過ごす機会を増やし、その時間を濃厚なものにしていこう。無駄な時間を無くし、今大事なことをしよう。そう思えるようになりました。
今を楽しむ!今やるべきことをやる!
南米のイメージって、なんとなく悪いですよね。皆さんはどう思いますか?
まずかなり遠い。なんか危険そう。食事が合わなそう。そんなイメージが先行していると思います。もちろん全部間違ってはいません。
実際、自分も10代や20代前半は全くと言っていいほど、南米に興味を持っていませんでした。
でもそれってイメージなんですよね。
一度来てみると南米の魅力にはまり虜になります。
こうして地球の裏側の生活を目の当たりにすると、文化が違えど、親近感が湧くし、なんと言ってもラティーノの本質的に明るい性格とかが我々にとっては真新しい気がします。
実際、10日間の滞在をした両親も、日本へ帰国後も日々の生活の中で触れることのできる「チリ」を楽しんでおります。居酒屋では「チリ産のワイン」を注文し、スーパーでは「チリ産のぶどう」に「チリ産の魚介類」を購入しています。それを逐一報告くれるのです。
これまで全く興味がなかった両親も、「きっかけ」を入手してからは虜に。
後、年齢なんて関係ないですね。思い切りのみです。
南米やその他海外に行くにあたって、年齢制限なんて存在しません。自分の中で勝手にハードルをあげてしまうことが、一歩踏め出せない理由だと思っています。
自分も昔はそうでした。「社会人だから」とかそんな思い込みで機会を喪失していました。今思えば、若いうちに出ておくべきでした。一般常識である「社会人でいること」を放棄して、海外で出る決意をしました。
考えすぎずに、思い切って行動するのみです。
ただ情報収拾は怠らないようにだけしておきましょう。
僕のように苦労することがあります。
本記事のまとめ
- 両親とのチリ滞在記(実質滞在日数は10日間)
- サンティアゴ・バルパライソ・イースター島情報
- 旅行時に役立つサイト集
このブログではチリ生活や海外生活について発信しております。
ぜひ以下の記事ものぞいてみてください。